人力検索の思い出
私が人力検索をメインに活動していたのは2003年7月から12月までの半年です。
私が人力回答を始めた頃は、「URLがメインでコメントはおまけ」というのがマナーだったと記憶しています。ぐだぐだコメントを書くくらいなら一つでも多く有意義なURLを探す方が喜ばれた時代でした。
ですから、当時の私は鬼子だったと思います。当時は気づきませんでしたが。
あの頃のユーザーさんは優しい人が多くて、私のようなものにも「良いとこ探し」をしてくださいました。そのとき必ず出てくるセリフが「URLと一緒に丁寧なコメントが添えられていて」うんぬん、というものでした。当時としては額面どおりの褒め言葉ではなかったのでしょう。それでも「自分の探し出してくる程度のURLじゃ解説しないと分かっていただけないのでは」と強迫観念(笑)に晒されていた自分とは切っても切れない評価でした。(小声で) 実は、ちょっとしたコンプレックスと誇らしさが複雑に絡み合った気分を味わいました。f(^^;
そうこうしているうちに時代は変わり、私も図太くなって(おぃ)、「URLはダミーです」全盛時代にコメント型回答者の代表選手としてブイブイ言わせました(笑) そして最終的には、近藤社長のダミーURL否定発言により撃沈しました。自業自得です(大笑い) *1
いま考え直すと、私にとっての人力検索は、やはりURL探しがメインであってほしいです。そして、コメントはその解説や説明を添える為のものであってほしいです。そうでないと、また私のような鬼子が徘徊して、「人力検索って何?」という部分を危うくしてしまうのではないかと恐れてしまいます。
そして、「URLがメイン。コメントはあくまでフォロー」という使い方でも、十分に暖かいコミュニケーションは取れるはずと思います。sasada登場以前の様に。それこそが検索だけではない「はてな」の魅力であり楽しさだったと思います。*2
実は、id:saizさんがダイアリーに書かれた言葉『捜してほしい。でもそれ以上に「答えて」欲しい。書いて欲しい。』にシンパシーを感じて、この文章を書きました。そう見えないかもしれませんが(^^;
『探したい。答えたい。すべてを書きたい』という私の回答姿勢が許された時代は、自己満足もできて、自分にとって良い時代でした。私のノスタルジーはあの時代に置き去りになってます。
でも、書きすぎてはいけない。自重するべきだったのだと、いまなら思えます。
URLオンリーの切り口上でもなく、直接回答ではない長文コメントだけのお喋りでもない、「質問に“答える”ための回答」を通じたコミュニケーションを取り戻したい。もっと増やしたい。そう、思います。