はてな的ゲマインシャフトとゲゼルシャフト

 えー、このセクションは次のセクションの前フリです。
 読み飛ばしていただいても大勢に影響は無いですが、私がこれらの概念を如何に理解していないかについて述べておいたほうが良いとの判断で記述してあります。

前書き

 私は、以下の様に考えてます。

 この考え方は、私がはてなダイアリーをサーフィンした範疇では賛同者が見つかりませんでした。
 おそらく、私が言葉の定義を理解していないか、はてなのコミュニティを理解していないか、その両方であると思われます。


 周知の事実ですが、私には苦手分野が沢山あります。(爆)
 どうやら、「ゲマインシャフトゲゼルシャフト」もそこに含まれるようです。
 試しに、sasada的に理解した範疇で「はてなサービス」がどのように見えているかを記してみます。その間違い具合で私の意見の正確性を測っていただければ幸いです。

考察

 まず、はてなダイアリーのコミュニティについて考えてみます。
 大前提として、はてなダイアリーのコミュニティに属するユーザーは、通常ダイアリー日記持ちです。
 多重IDを含む一部の例外を除けば、これらのユーザーは自分の日記を大事にしています。またユーザー名の消失が日記の消滅に直結する為、自分のユーザー名をとても大切にしています。
 ダイアリーコミュニティで円滑に生き続ける為には、それなりの社会性を必要としますので、そのユーザーの価値観と実力の範囲内ではあるものの、基本的には共生するための努力が為される場合が多いです。


 ダイアリーコミュニティでは日記に書かれている情報への愛着をベースにした『名前(ユーザー名)の大切さ』が暗黙の了解としてあると思います。
 これは、実際問題として利用規約遵守などによる社会契約を守ることと直結していません。むしろ、自分の周辺のユーザーとの関係を円滑にすることに注力する傾向が有ると思います。
 私には、これは(日記をベースにした)「地のゲマインシャフト」に思えます。


 同様のことは、グループ日記やグループキーワードフォトライフの画像にも言えます。


 ところが、運営側のトラブル対応においては事情が異なります。
 一旦は住所登録による「個人の見えるサービス」強化によって「地のゲマインシャフト」としての運営強化を目指しましたが、ユーザー側の拒絶により方針が変更されました。
 現在は、法的リスクの問題も有って、実社会的に通用する一般的対応に終始しています。これは(利用規約・法令その他の)契約に基づく対応を超えるものではなく、はてな様の利益とリスクのバランスをはてな様に近いところで取ってます。私には非常にゲゼルシャフト的な関係に思えます。


 私は「地のゲマインシャフト」的ユーザーコミュニティーゲゼルシャフト的な対応で運営している。これが、はてなダイアリー, グループ, フォトグラフの現状だと認識しています。(このねじれは、いつか致命的なトラブルを引き起こすのではないかと心配です)


 これに対して人力検索はどうでしょうか。
 私の経験では、これは非常に複雑で混沌としています。
 たとえば、ビジネスユーザーのほとんどは人力検索に対してゲゼルシャフト的な共同体であって欲しいと望み、そのような立場で参加しているものと想像しています。
 その他の一般ユーザーにも、同様にゲゼルシャフト的な参加をされている方もいらっしゃいますし、ゲマインシャフト的な参加をされている方もいらっしゃいます。(のちにダイアリーに移住するユーザーの方々は後者のタイプが多いのではないでしょうか)
 ややこしいことに、いまの人力検索にはこれらの社会類型で語ることの出来る社会的・反社会的ユーザーだけでなく、非社会的ユーザー*1が存在し、実に様々な作用や副作用を及ぼしています。
 さらにややこしいことに、反社会的ユーザーや非社会的ユーザーには多重ID疑惑が出ることが多く、それに対抗する立場のユーザーにも同様の疑いが持たれることがあります。それも、“人力の常識”の範疇として。
 利用規約の遵守を金科玉条とするsasadaとjo_30氏が同一人物(多重ID)ではないかなどという疑惑が、大したスクープにもならず普通の話題として語られるような状況は異常でしょう。


 以上のことを端的に言えば、人力検索の現状は(いずれかのパターンを代表的なモノと看做して)単一の共同体ということは出来ず、総称して社会学的な類型を適用するのは危険ではないかと考えてます。


 その上で、問題行動を起こすユーザーだけを抽出して考察すると、(それが日記持ちユーザーの多重IDである場合も含め) ユーザー名への執着を示すユーザーは少ないように思います。非常に気軽に生まれ変わっている場合が多いようですし、その行動様式は自己利益を重視している場合が多いように感じます。
 私は、人力検索で問題行動を取るユーザーを群体としてみたとき、反ゲマインシャフト的であるか、悪い意味で非常にゲゼルシャフト的であると思います。


 つまるところ、人力検索コミュニティーでは良い意味でのゲゼルシャフト的共同体およびゲマインシャフト的共同体と、悪い意味でのゲゼルシャフト的共同体、そしてそもそも社会性の無い群集が混在しているのではないでしょうか。


 ところで、はてな様の理想としては、人力検索コミュニティーに良い意味でのゲゼルシャフト的共同体(具体的にはポイントを介したコミュニケーションを欲する、ビジネスユーザーっぽい利用者達)とゲマインシャフト的共同体(その他のコミュニケーション主体の利用者達)が共生できる場で有ってほしいとの期待を持っていらっしゃるように思えます。*2


 その為には、悪い意味でのゲゼルシャフト的共同体(ユーザー名を軽視する人たち)への対処が必要であるのはもちろん、ゲゼルシャフト的共同体とゲマインシャフト的共同体の軋轢(代表的なところでネタ質問の是非)に対する対処も必要だと認識しています。
 人力検索において両共同体で共通する価値観は現状「質問者からの評価」のみであり、私がポイント割り振りの改善や評価方法の改革に拘るのもこの辺に絡んでます。また、第三者評価に拘るのも同様の理由です。(質問者がゲゼルシャフト的で、回答者がゲマインシャフト的であったときの悲劇を散々見てきましたから、それぞれの立場の第三者からの評価は軋轢を緩和すると考えます)


 以上、自分の考えを、トンデモを承知で、キーになる概念へ当てはめてみました。

結語

 ここまでお付き合いくださった方に感謝いたします。m(_ _)m
 再度申し上げますが、この長いセクションは、sasadaの無理解を宣伝するだけでなく、自分では認識できていない間違いを読者の方々に理解していただく為の材料として掲載しました。御了承ください。m(_ _)m。

追記

 補足です。
 このセクションの比較対象はyukattiさんの記事ではなく、この雑記に今まで書いてきた諸々の主張です。
 私は今までの記事とこのセクションで同じ主張をしたつもりですが、読み手の方にそう受け止められなかった部分があれば、そこが私が理解できてない部分だろうという寸法です。
 紛らわしくて、大変申し訳ございません。m(_ _)m

*1:昔で言えば ぽこにゃん氏、比較的新しい例で おーさんや社会保険庁

*2:私自身がそう思ってるだけかもしれませんが。