おもうに (ひとりごと)

 今の「はてな」は、「近藤さんの理想」や「(れ)さんのほのぼの」に賛同する人の集団とは言えないのでしょう。
 そこに幻想を持つと、ユーザーにもスタッフにも幻滅して傷つくと。う〜む。


 でも、単なるネットサービスとしての「はてな」なんて、つまらない。*1
 良くも悪くも、ネット上に社会(コミュニティ)を構築してしまうから「はてな」は面白いのだと思う。
 そこにこそ、新たな文化への可能性があるわけで。


 でも、上記の様に考える人は既に少数派なのかも。あるいは私一人の幻想だったのかも。しょぼ〜ん。


 このまま放置すると、「顧客サービスとしてのはてな」と「近藤さんの理想に基づく (コミュニティとしての) はてな」は統合不能になるかもしれない。
 統合不能になると、いずれかを選択することになるし、一方を選ぶと言うことは、他方を捨てると言うことなので、なんかコワイなー。とか思う。*2


 たぶん、「はてなってなに?」という部分、近藤さんの理想の部分を分かりやすくアピールするべきなんだ。トップページや入会ページや利用規約や日記やメールやはてな本や他のメディアやあらゆるところで。
 はてなが、近藤さんの理想に賛同できる人を受け入れるコミュニティであり続ければ、混乱は少なかったはず。*3
 もちろん、コミュニティの拡大は必要。でも、多様な価値を受け入れることより、コミュニティの理想を社会に受け入れてもらうことを優先するべきなのかも。
 なんとなく息苦しい社会情勢だからこそ、「インターネット上のヒューマンネットコミュニティ」への潜在的なニーズはあるはず。宣伝と理解。ニーズの掘り起こしとサービスの提供。それだけ。そこからブレイクスルーを狙うと。*4


 「多様な価値を受け入れること」 ・・・ここで私は間違えていたのかもしれない。がっくり。


 今更だけど、

はてなってなに?」

に対する答え*5 こそが、譲ってはいけない「はてな」の中心のはず。


 中心を失った「はてな」は、魅力と独自性を維持できないかもしれない。
 分散してしまえば、内部崩壊して、他の競合サービスに呑み込まれてしまう。
 正念場が近づいているのかもしれません。

*1:ネットサービスとしての良さを否定してるわけではないです。別の方法で代替が利くという意味です。

*2:実際には妥協を繰り返すことになるのだと思う。いわゆるジリ貧。

*3:そのかわり、外側から「はてな村キモイ」とか「はてな教」等と言われ続けるはず。この場合は、あるイミ 正当な評価と言えるかも。

*4:いまは、宣伝(プロパガンダ)が相対的に足りてない状況なのじゃぁ。

*5:表面的な部分についてなら今までにも記述があるのは知っています。
はてなダイアリーについては http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20030313#1047561862人力検索サイトはてなについては http://www.hatena.ne.jp/help/ ですね。