どうでもいいこと(私以外の人にとっては、ね)

 上記のセクションで「賛同」と言う言葉を使ってます。
 最初は「リスペクト」って書こうと思ったのですが、人により受け取り方が異なりそうなので、陳腐な表現に変えました。


 で、「リスペクト」の世間的な意味を調べようと思って、簡単にぐぐって見ました。→ google:リスペクトとは


 一番上のページ「調和とは何でしょうか」を読んで、打ちのめされました。9歳の子に教えられちゃいましたよ。大の大人が なさけない。
 でも名文だと思いますので引用させていただきます。

【子どもの部】 優秀賞


調和とは何でしょうか(原文も日本語)
上田 茜(9才)
アメリカ・リッチモンド
スプリングフィールド パーク エレメンタリー スクール


私の通っているバージニア州の小学校にはいろんな国からのお友達がいます。肌の色も違えば、もともとの話す言葉も違っているうえに、年れいも、まちまちだったりします。でも一人一人が仲良く楽しい学校生活をすごしています。先生もやさしく、しかし時にきびしく教えてくださいます。
先生が、いつもみんなに言われることは、すべての人を、リスペクトしなさいということです。これはクラスのお友達に対してだけではなく、バスの運転手さんやカフェテリアの先生など、ふだん私たちがお世話になっている多くの人たちも、ふくんでいます。
みんなが仲良くくらすためには、自分だけの事を考えていてはむりで、まわりのいろいろな人たちのことをリスペクトしなくてはならないと思います。これは一人だけで、かいけつできることではなくて、一人一人みんながその気持ちをもたなければ、きづくことの出来ない問題だと思います。
私は、いじめがきらいです。なぜならば、いじめをする人は、はっきりと自分の意見を言わない人で、いつも強い方の味方に付くような、ひきょうものだからです。これはアンフェアだといいます。自分の意見をきちんと主張し相手の事も考えていくように一人一人が気をつけたらいじめはずいぶんへるだろうと思います。
アメリカの学校にきて、お友達や先生がほんのちょっとしたことでもすごくほめてくれることに気付き感心しました。だけど、お友達のことを悪く言うと、先生はすごく怒ります。たとえ、おにごっこをしていても、鬼になったお友達をあまりはやし立てると、先生はそれをみていて、いじめた子供をすごく厳しくしかっていたことがありました。日本ではあまりこんな事はなかったのでびっくりしました。
リスペクトとは簡単に言うと心からほめてあげる気持ちだと思います。ほめられると、うれしいし、もっとよくなって、人の役に立とうという気持ちもわいてきます。
もしも、今のアメリカのクラスが日本にあったら私は少し、ぞっとします。見た目がちがったり、年もちがったりすれば理由もなくいじめる子供がいるでしょう。調和とは日本の学校のようにみんな同じ人種でいたり、同じ服そうやぼうしを身につけることではないと思います。一人一人の相手に対する親切な気持ちで作られる、ふんい気が調和のもとだと思います。おたがいをリスペクトする気持ちが、私たちの生活の調和をつくるもとだと思います。
私も毎日の生活の上で、すべての人をリスペクトする気持ちを忘れないように気をつけようとおもいます。


 すばらしい文章だと思います。
 私は、日本人的な調和について勘違いしていたかもしれません。上記作文中の「リスペクト」には昔ながらの和の心に通じるものを感じます。なんとなく、いま身の回りに欠けているものを指摘されたような気がします。
 もっとも、私が覚えている限り、純和風のしつけはもっと厳しいものでしたが(^^;



 私は、『すべての人をリスペクトする気持ち』を欠いていたようです。



 『リスペクトとは簡単に言うと心からほめてあげる気持ちだと思います。ほめられると、うれしいし、もっとよくなって、人の役に立とうという気持ちもわいてきます。』とのこと、大事なことだと思います。
 更に私に足らないのは『いじめた子供をすごく厳しくしかって』あげる姿勢なのかもしれません。そんな資格はないと躊躇するのは逃げてるだけなのかも?
 しかってくれる人が居ないのもイタイですね。見捨てられてるのか(汗;


 いずれにせよ、まだまだ修行が足りません。はい。