セリフと状況
上記セクションの続きです。
それにしても、
「みんな我慢してやってんねんぞ!」
については、パッと見た瞬間には
「みんな」が「俺」を意味している場合、「俺は我慢してやってんねんぞ!」ということになる。こんなことを言うのはアホだけだ。私には「ああそうですか、大変ですねえ、アホで」としか言いようがない。
とか言われると立つ瀬が無いなー、とか思いました。
なんででしょう。
たぶん、上記の引用元のケースでは、「俺もお前も我慢しなくて良いように大元のシステムを改善するのが本当でしょう? そんなことも分かんないんですか。ああそうですか、大変ですねえ、アホで」という風に繋がっていくものと理解しました。
これ自体は、「ああ、あなたは賢い!!」とかコメントすれば済む話です(^^; *1
一瞬の違和感は、ここの記述ではなく、自分の経験から来ているようです。
私自身がこのセリフを言われる場合の「みんな」は「私以外のみんな」を指すのが普通で、おおよそ、
「(お前以外は)みんな、お前のことに我慢してやってんねんぞ!」
と解釈できる場合が非常に多いです。(「やってんねんぞ」の解釈がミソね)
もしも私がこれに対して「大変ですねえ、アホで」と返すようなら、その組織からアッサリ切り捨てられるであろうことは明白です(笑)
この場合、「みんな(あなた)が *私* に我慢しなくて良いように、大元のシステムを改善するのが本当でしょう?」とか、怖くて言えません。
敢えて人間的な部分を排除して考えれば、この場合も確かに大元のシステムの問題なので、要求仕様どおりに動作しないユニット(私)を交換するだけで正常化するかもしれないのですから。(怖)
これに似てるけど決定的に違うケースについて、引用元では、
「みんな」が本当に「みんな」(すなわち全員か、少なくとも大多数)を意味しているときはどうか。
(略)
「もし本当にみんなが我慢しているんだったら、システム的な問題があるかもしれないね」というふうに私は発想する。そして、「みんなが我慢している問題を解決できたら効果は大きいね」(あるいは「ビッグビジネスになるね」)というふうに私は発想する。私はこれを極めて自然な思考の流れだと思っている
とのことです。
我慢されている対象が自分で無い場合、つまり自分も含めてみんなが我慢しなければならない場合は、こういう解釈が成り立つわけです。
勉強になりました。*2
同じセリフでも、発せられる状況で全然意味が変わってくるんですねー。
とにもかくにも、日本語って難しいです(^^;