宗教って何?

 私に聞かないでね。本当のところは知りませんからー(笑)

sasadaの妄想

 まー、人それぞれに、「神様か教祖様がいるのが宗教」「自分の内面(魂)を(現世|来世|あの世)で救済するための取り組みこそが宗教」「宗教団体が存在するのが宗教」等々、いろいろな解釈があります。
 私なんざ、宗教と哲学の区別もつきません。


 一応、素人なりに考えるところでは、「神様の存在や教え、主との契約の正しさについての『定理とも言うべき根本部分』では、『証明を行わない。ただ信じる』ことにより、すべてが始まる」のが、宗教の特徴なのかな、と妄想しています。

一般人とのコミュニケーションの断絶・すれちがい

 神の存在を信じ、神から与えられる義務が絶対だと信じ、神の教えを守るのが正しいことだと信じることこそが、宗教が宗教足り得る理由と仮定します。

 この場合、宗教家や信者の方に、「一部の教義の誤りが科学的に証明されてるから」とか「あなたが属している国の法律に違反してるから」などと説得しても、信教が揺らぐとは限りません
 「教義と世界の成り立ちが矛盾するなら、教義の解釈を見直するより、世界の間違いを指摘するほうが先決だ」と信じる原理主義的な信者も存在するでしょう。これは、過激な例で、教義の解釈を見直す穏健派の方だって大勢いらっしゃるはずですが・・・(^^;


 ともあれ、いわゆる一般人と宗教人のコミュニケーションは、ここで断絶しているような気がします。

宗教者とのコミュニケーション

 まともな意志疎通のためには、その宗教人が信じる定理(バイブルでもなんでも)と、一般人の定理(契約社会のあれこれや社会情勢)をベースにして、ひとつずつ論理的なすり合わせをしつつ、話し合いを進めるべきでしょう。
 お互いに相手の定理と哲学を無視して言い争っても不毛だと思います。


 あと、宗教団体と個々の宗教者は分けて考えるべきですし、一般人の側でも属する団体と一個人は分けて考えるべきでしょう。どの立場でも公的な部分と私的な部分はあるはずですし、意外とこの辺が誤解の温床になりやすい気もします。

宗教との対話の重要性

 中東やアフリカを中心に、世界的にも、政治(統治・外交)と宗教、過去の因縁と宗教、社会情勢(治安・富の配分・貧困・医療・教育)と宗教、などが取りざたさせています。
 彼らの現状と彼らを支える(実際的な力を持つ)宗教と対話し理解することをおろそかにして、解決はあるのでしょうか。
 私達、無宗教っぽい平均的日本人には、考察すら難しい時代になったなぁと思います。(^^;