争いは、それ自体では何も生み出さない。

 ユーザー同士で告発しあっても、何も解決しないと思います。


 「次は自分の番か?」などという恐怖心が蔓延すれば、「やられる前にやれ!!」という“モラル”が形成されるのは目に見えてますし。
 一人が排除されれば、それでお終いとはならないでしょう。おそらく、すぐに次のターゲットが設定されます。自分の番が廻ってこないように、すばやくいけにえを設定しなければいけません。そうなると、あとは一直線ですよね。

 そうなれば、いずれは粛清の嵐になるでしょう。狭いコミュニティでは特にアリガチな話です。



 そもそも、コミュニティの「質の向上」の為に「問題因子(この場合は“人”)を排除する」という考え方が妥当かどうか、考えてみて欲しいです。


 誰かにとっての問題因子が、全員にとっての問題因子であるとは限りません。一旦多数派と少数派に分かれてしまえば、迫害が始まります。同等の力を持つ派閥に分かれた場合は、互いに優位に立つための争いが生まれます。勝たなければ、自分たちが排除される以上、戦うか逃げるしか有りません。


 そんな争いの中で、排除に排除を重ねた結果、何が残るのでしょう。理想的な楽園が残ることが無いのは自明として、「喰うか喰われるか」の殺伐としたコミュニティが形成されるだけではないのでしょうか。
 問題因子の排除により質の向上を目指す人たちの目的は、そこにあるのでしょうか。私には、そうは思えないのですが。



 問題因子の排除は、長期的には問題を解決しません。


 面倒でも、うっとうしくても、効果が現れるまでに気が遠くなるような時間が掛かっても、根本原因(この場合は“人”とは限らない何か)を追究し、その打開策を考えるべきです。